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岩倉使節団とは?

明治維新政府首脳による西洋文明調査旅行

明治4年(1871)12月、誕生間もない明治政府は、新しい国家の設計図を求め、不平等条約改正の下交渉も兼ねて、史上空前の大使節団を米欧に派遣しました。右大臣岩倉具視(47)を特命全権大使に、木戸孝允(39)、大久保利通(42)、伊藤博文(31)、山口尚芳(33)を副使とする一行は、各省の俊才も加えて総勢50名ばかり、これに、津田梅(8)、牧野伸顕(11)、団琢磨(13)、中江兆民(25)など同行した50数名の留学生を加えると、出発時点では100名を越える大集団でした。

米欧12ヶ国を632日かけて視察し世界を一周したこの使節団は、結果として、まだ混沌としていた明治初期の日本がいかにして近代化を進め、「明治という国家」をつくっていくかという歴史的課題に、極めて大きな影響を与えました。それはまさに日本近代化の原点となる旅であり、日本の歴史上でも遣唐使に比すべき大きな意味をもつ使節だったと思います。

わたしたちは、単に明治初年のこの旅を回顧し反芻しているだけではありません。これを起点とした日本の近代化130年の歴史を振り返り、その成功と失敗の事実をはっきり認識し、現代日本が直面する諸問題についても真剣に議論し、「歴史から学ぶ」ことによって、なんらかの方策を見いだそうとしています。岩倉使節団は、現代の日本人に、元気と知恵を与えてくれる、またとない素晴らしい教材です。

主な訪問都市

米国:サンフランシスコ・ソルトレークシティ・シカゴ・ワシントン・フィラデルフィア・ニューヨーク・ボストン
英国:ロンドン・リバプール・マンチェスター・グラスゴー・エジンバラ・ニューカッスル・シェフィールド・バーミンガム・チェスター
欧州:パリ・ブラッセル・ハーグ・エッセン・ベルリン・サンクトペテルスブルグ・コペンハーゲン・ストックフォルム・ハンブルグ・フランクフルト・ミュンヘン・ローマ・ナポリ・ヴェネチア・ウイーン・ベルン・ルツェルン・ジュネーブ・リヨン・マルセーユ
寄港地:ポートサイド・アデン・ゴール・シンガポール・サイゴン・香港・上海

「岩倉使節団の再発見」 米欧回覧の会 編


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