Journal 4 of Townsend Harris(April 1~July 31, 1857)
ハリス日本滞在記 (1857.4.1~ 7.31)
ハリスの上記滞在期間における幕府側の動きについて、これを「列強の軍事力に対する幕府の軍事力の実態」と題してまとめました。この内容は日記とは全く別個です。
すなわち、開国を迫る列強の圧力に対し、幕府側が保有する軍事力を調査したものです。
- 列強と幕府の軍事力の比較
- 艦船:幕府は500石以上の大船建造禁止令を1609(慶長14)年以降、1842(天保12)年までに5回発令した。1500石(230トン)、200石(300トン)積みクラスの、木造平底帆船が最大である。大船建造禁止令の解除は、1853.9.15(嘉永6年)。第1回米国ペリー艦隊4隻の1853.7.8(嘉永6年)来日時の旗艦サスケハナは、排水量3885トンの世界最大級の蒸気外輪フリゲート艦(砲15門を搭載)
- 第2回ペリー艦隊9隻の1854.2.13(嘉永7年)来日時の旗艦ポーハタンは、排水量3825トンの蒸気外輪フリゲート艦(砲15門を搭載)
- 列強側
- このため大砲を積んだ軍船は全く存在しない。ましてや、蒸気機関の動力源を有する艦船もない。
- 日本側
- 防衛計画(砲台):戦力増強には新砲台の建設(埋立てを含む)、大砲の鋳造、弾薬の製造、砲兵隊の編成、維持、訓練など、莫大な費用を必要とした。
- しかも鋳造には、反射炉の製作から着手せねばならぬ状態にあった。
- 江戸湾の既存砲台の砲99門のうち、外国勢に比肩できる砲は僅かに19門であり、しかもその大半は臼砲であって射程が短く、ペリー艦隊まで砲弾は届かない。
- 幕府の責任者と財政1842(天保13)年 歳入148万2421両、歳出145万3209両、収支差額 黒字2万9212両大きな歳入は金銀の改鋳である。徳川200年の鎖国が大きくのしかかっている。
- 列強の軍事力には全く歯が立たない。また財政的にも無策で、戦費のための歳入増強が見込めない。
- 1854(弘化元年) 歳入171万9090両、歳出212万9130両、収支差額 黒字44万6340両
- 主席家老 阿部正弘
担当:市川三世史