平成30年5月7日(月)
時間:14時~17時
場所:国際文化会館
プレゼンター:小野博正(会員)
参加者:18名
鹿児島の照国神社に祀られている島津斉彬は、名君に恥じない。薩摩藩が明治維新の実現に最も貢献したことは異論の余地がないが、その薩摩藩の国父・島津久光や藩士・小松帯刀、西郷隆盛、大久保利通らを幕政改革から、やがて倒幕へと走らせたのは“斉彬の御深意”(先君の遺志)である「御一新」「日本一致一体論」「殖産興業、富国強兵」「開国と貿易」「夷を以て夷を制する文明開化」を誠実に追求することにあった。島津家の高祖・忠久は源頼朝の落とし子とも言われ、筆頭公家・近衛家の島津荘の守護職を務めた。近世では将軍・11代家斉、13代家定に代々の藩主の娘を正室に送り込み、斉彬の正室・英姫は一橋家・徳川斉敦の娘であり、公家と将軍家とに華麗な閨閥を築いていた。
斉彬は曽祖父で蘭癖大名と言われた重豪に似て、蘭書を読み漁り、西洋知識の森羅万象に興味を示し、それを嫌った父・斉興に嫌われて、藩主になったのは43歳の時である。治世は1851―58年のわずか7年間であったが、その間にまさに回天の基礎を敷いた。老中・阿部正弘から幕臣、岩瀬忠震、川路聖膜、江川英龍、勝海舟、大久保忠寛や藤田東湖、佐久間象山らと交わり大船建造、海防・軍備等幕政を建言し、水戸の斉昭、松平春嶽、徳川慶勝、伊達宗城、山内容堂らと幕政論をリードした。蘭学者・杉田成卿、坪井芳洲、戸塚静海、高野長英、渡辺崋山や川本幸民、松木弘安らに蘭書の調査・翻訳を依頼し、富国の材料となる化学物質(硫酸、塩酸、硝酸等)、洋酒と甘藷アルコール、陶磁器や釉薬、氷砂糖、白砂糖、櫨蝋、樟脳、晒し法、塩田・石炭探索、水力利用、養蚕、ガラス、皮革鞣し法、製紙、農具製法など民生的産業、反射炉、製鉄、鋼精錬で大砲、ゲーベル銃、雷管機銃など防備、写真術、電信、電気、地雷、鉱山爆発法から、軍艦、蒸気船製造まで、自ら企画・開発・実験を指導した。これらは集成館事業として結実し、領地を巡幸して農業こそ国の基本と農業改革を進め、一癖ある人こそ有為に役立つと人材登用・開発に努めた。琉球経由外国留学生派遣指示したのも斉彬であった。幕末・明治維新の諸政策は、まさに先君の遺志の実現であった。
(文責:小野)