コンテンツへスキップ

英書輪読会:「ハリス日本日記」2017/10

  • by

《2017年9月13日(水)英書輪読会報告》

日比谷図書文化館セミナールームで開催している英書輪読会は、本年3月から3冊目のテキストTownsend HarrisのThe Complete Journal of Townsend Harrisに取り組んでいるが、今回9月13日(水)で6回目となり、いよいよハリス下田上陸の場面を迎えた。

日比谷図書文化館セミナールームで開催している英書輪読会は、本年3月から3冊目のテキストTownsend HarrisのThe Complete Journal of Townsend Harrisに取り組んでいるが、今回9月13日(水)で6回目となり、いよいよハリス下田上陸の場面を迎えた。 この日の当番水谷剛さんリードの下Journal No.3の1856年8月23日から10月23日の部分を参加した10人が輪番で音読した。水谷さんは本報告の事前に下田を訪問し、総領事館として使われた玉泉寺の写真等を含む詳細なレジメを用意してくれた。そして、下記の報告を寄せてくれた。 なお、同じ部屋で直前13.00-14.40に「米欧回覧実記輪読会」を開催することになったので、英書輪読会は開催時間を1時間繰り下げ、15.00-17.00に開催することになった。

『安政3年(1856年)タウンゼンド・ハリス初代総領事は、通訳官ヒュースケンを伴い、米艦サン・ジャシント号で下田に着任した。領事館の場所候補として了泉寺をはじめ6~7か所の寺を見てまわった結果、最終的に柿崎地区の玉泉寺に決定した。 9月1日に新任の井上信濃守清直 下田奉行と初会談した。通訳は優秀な森山栄之助であった。なお、井上下田奉行は、外国奉行や勘定奉行を歴任して幕末の徳川外交を担った川路聖謨の実弟である。 9月4日の玉泉寺の庭に最初の米国国旗が領事館の象徴として翻った。日常の生活を日本の地で始めるにあたり、様々なエピソードが生ずる。例えば、ハリスは奉行所に牛乳が飲みたいと所望したが、日本では牛の乳は一切食用にしないと断わられたら、母牛を手元に置いて自分で乳を搾るからと言い張り、日本側も譲らず、結局毎日牛乳を届ける事で決着した。玉泉寺には「牛乳発祥の地」の立て札がある。これには「ここ玉泉寺は、日本で最初に牛乳が飲まれた地です。当時を思いながら美味しい牛乳を飲みませんか?」とある。 また、ハリスは蟋蟀など秋虫の声を聴いて「大速力で走る豆機関車の音のよう・・」と書いている。日本人が秋虫の声を哀愁を以て聴く芸術的音と感ずる感性と全く異なる感性である。 玉泉寺の庭には有名なロシア船「ディアナ号」の3人の船員の墓があった。偶然下田寄港の時に遭遇した安政大地震の津波による犠牲者であった。 ハリスと、ヒュースケンは散歩や下田の氏神祭礼に出かけたり、それなりに日本の生活を楽しんでいる。下田港には、オランダやアメリカの軍艦、商船などが寄港して船員たちとハリスたちとが懇親の集まりをしている。 (水谷剛 記) (英書輪読会世話役岩崎洋三)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です