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英書輪読会:「ハリス日本日記」2019/2

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時:2019.1.9(水)13.10-14.50
所:日比谷図書文化館4階セミナールーム
範囲:pp.513-541(Jan.26-Feb.17,1858)

初代米国総領事ハリスは、着任後1年半近くたってから江戸出府を許され、課題の通商条約締結交渉をやっと始めることが出来た。ハリスは安政4年(1857年)11月江戸に着くと、日本側全権代表井上信濃守(下田奉行)と岩瀬肥後守(御目付)を相手に、通訳のヒュースケンを従えて、翌年1月から2月にかけて14回の談判を重ねて首尾よく成約し、7月神奈川沖のポーハタン号上で調印に漕ぎつける。 

今日の輪読会では、126日の第二回談判から217日の第11回談判までの部分を輪読した。条約談判はハリスが作成した条約草案を、オランダ語を介して日本語訳を作成した上で逐条的に議論される。日本側全権は保守的な諸大名の説得に苦慮していたことから議論が難航した様子が生々しく描かれている。 

開港場数ついては、ハリスが米捕鯨船の便宜も考慮し8港を要求する一方、日本側は3港以上不要と突っぱねたものの、『ここは条約のセバストポール』と踏ん張ったハリスが6港を獲得して決着した。セバストポールはクリミヤ半島の港で、ハリスが日本の港を戦略的に重視していたことがわかる。 

キリスト教礼拝問題では、18561月の日蘭条約で、日本側が出島の建物内での礼拝を認めていたことを事前に調べ、ハリスは外人居留地内での礼拝自由を条約に盛り込むことに成功している。(岩崎洋三記)

 

 

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