日時:2018年9月15日(土) 13:30~14:30
場所:国際文化会館
演題:「日本の通商政策とアセアン」
講師:岩田 泰 氏(経済産業省通商政策局総務課長)
米国のトランプ大統領か世界に向かってグローバル化を拒絶し、持論の保護貿易など「米国第一主義」を主張し続けている現在、我が国にとり今ほど近隣友好国のアセアンとの関係強化が国策としても重要になって来たことはない。経済産業省の組織の中の中枢とも云える通商政策局の総務課長として、また広く培われたキャリアからの視点でお話を頂いた。
<最近の通商情勢>に付いて’80代貿易問題が世界的に吹き荒れていた時、グローバルに問題を解決する為にGATTがあり、次に来るメカニズムとしてGATTウルグアイラウンドが’86に始まり延々と続いたが‘95のWTO設立につながった歴史を振り返ることから講演の口火を切られた。
ウルグアイラウンドがなかなか収束しなかった時期に、それを補完する意味で地域ごとに纏まって貿易の自由化をやろうとNAFTAやEUが誕生した。アジアに目を向ければAFTA(ASEAN自由貿易地域)が’92に合意に達した。当時、米国のスーパー301条がよく議論になっていたが、現在は再び米中間の紛争が政治問題化している。
WTOが設立されてからは通商問題が政治問題化しないようになってきていたが、その間、日本のアセアン各国に対する通商政策は、主に*経済協力と*既に進出していた多くの日本企業に対する事業環境整備である。アセアン各国同士の経済格差のみならずアセアン各国の国内でも格差があり、国によっては国内産業保護を主張する声と自由貿易推進を主張する声との対立が見られたが、アセアン各国のリーダーは、強い意志で繋がって協力し合い共同体を創って行かなければ生きていけないという問題意識の下、強い政治的リーダーシップで共同体設立に導いた。ASEAN(Association of South East Asian Nations)は、「Association」という名の通り、緩い協力関係の構築を目指すものであった。アセアンが設立された’67当時の東南アジア地域では、ヴェトナム戦争が続いており、中国での文化大革命の影響も広がりを見せていた。アセアンは、当初インドネシア、フィリピン、シンガポール、マレーシア、タイの5カ国で設立されたが、互いに仲が良かったわけではなかった。ボルネオ島のサバ・サラワクの領土を巡ってインドネシア、フィリピン、マレイシアが争奪戦を繰り広げており、またシンガポールは’65にマレーシアから独立したが当時の首相リー・クワンユーとマレーシアの首相マハテイールとは反目しあっていた。自分達も喧嘩ばかりしないで外敵(共産主義国・中国)に対して立ち向かおうではないか(当時ASEANは反共の団体と言われていた)、当時は特別に経済の為でもなく、崇高な目標を掲げていたわけでもなく、兎に角仲間内の喧嘩は止めて一つになろうとしたのが’67にできたASEANであった。アセアンが纏まることによって大国に対するバーゲニング・パワーが持てるし自分達が中心となって世の中を泳いで行こうというのがアセアンの基本的な考えであり、最近耳にするようになってきたASEAN Centrality の考え方にもつながっている。
ASEANは、一朝一夕で今日のような共同体になったのではなく、輸入代替工業化の動きー>輸出志向工業化―>FTA->共同体へと紆余曲折しながら発展して行くのである。
アセアンの経済発展の流れに相俟って日本の関わり方も変わって行く。アジアが貧しかった頃は経済協力が主体であった。’90代にGreen Aid Planという、環境に着目したした経済協力があった。また進出した日本企業の原材料の現地調達の必要性に対してはサプライヤーを育てる目的でサポーティング・インダストリー協力を行った。アセアンの経済が徐々に発展してきた2000年代には、次の段階である“経済連携”へと進んでいった。2002年にシンガポールとEPAを結び、順次、マレーシア、タイ、インドネシア、ブルネイ、フィリピン、ヴェトナムとも結び、ASEAN全体ともEPAを結んでいる。ある程度EPAが進んでくると、お互いの市場を解放し合い、自由貿易を享受し合い、伸び行くアセアンの活力を民間ベースで日本の中に取り込んで行く段階に入ったと言える。次が産業協力の段階である。
日本がアセアンとの間で最近進めているスタートアップ協力の一環として、Start Upを使って日本のヴェンチャーがアセアンで活躍できるように支援し、また起ちあがった企業のスケールアップを図る様に地元の財閥や有力企業と手を組む事など仕掛けてバックアップを行っている。また、日本が既に直面している課題でアセアンが今課題となってきているAging Society,環境問題など、先んじて直面した日本の経験、知恵やknow howを活用できる面があるのではないか、と政府間交渉に留まらずビジネスと一体となった協力にも力を入れて取り組んでいる。
講演の最後に岩田氏が10年前に3年間総務部長を務めたERIA(東アジア・アセアン経済研究センター)について紹介された。ERIAは2008年6月に東アジア経済統合推進のため、政策研究・提言を行う国際機関(「東アジア版OECD」)として日本が主導して設立した。
参加国はアセアン10カ国プラス日本・韓国・中国・インド・豪州・NZの6カ国(RCEPと同じメンバー)で、本部をジャカルタに置いた事が重要な意味を持つことになる。
この機関の運営は日本人が主体に行っているが、ジャカルタにいてアセアン外交の事を考えている人達がアセアンと共に考える、経済統合や貿易自由化を進める為の知恵袋として“一緒に考えよう”として創った組織である。通商交渉というとどうしても国対国の交渉で勝った、負けたのイメージが強いが、今やアセアンとの関係を考えるとき勝った、負けたではなく、皆がこの地域で勝つ為にどうしたら良いか、こういうことを考える際に、ERIAのような組織の意味があり、日本にとって通商政策の一つのツールとしてERIAという組織を設立したことには大きな意味がある。
今年の7月1日RCEPの閣僚会議が日本で初めて行われた。RCEPの閣僚会合がアセアン以外の国で会議が行われたのは初めてで、歴史的な事である。会議の冒頭安倍首相が岡倉天心の言葉を引いて、「Asia is One」とアセアン閣僚の前で話された。
今や時空を超えて「人、物、金」がコミュニケートする時代であり、新しい時代の通商政策が益々難しくなって来ている。昔の様にただ単に経済協力するだけでなく、政府間の交渉をするだけでなく、ERIAの様な国際機関を創って、産業協力をしながら皆でこの地域でWin―Winの関係になる様に地域の為に何が出来るか、通商政策の進歩がアセアンという場で問われている。
岩田氏が講演の中で話された重要な点が今年の1月出された「不公正貿易報告書」の巻頭言に掲載されているので、ご参考まで参照させて頂きます。
「特定国との貿易に関して自国に不利な結果が生じている事のみを理由にして、相手国の貿易政策・措置を不公正と評価する「結果志向」は、客観性が欠如し、管理貿易に転化しかねず、反競争的効果をもたらしかねない。各国の貿易政策・措置の「公正性」は、結果ではなく国際的に合意されたルールに基づき、客観的に判断されるべきであり、適当な国際ルールが存在しない場合には、まずルールの定立を期し、国際ルールなしに公正・不公正を論ずべきでないという「ルール志向」が、本報告書が提示し続けてきた「公正性」であり、我々の依拠すべき原理原則(principle)である。」
(文責:畠山朔男)