2018.9.25 13:30~17:00
国際文化会館 401号室
安倍政権が今年中にも憲法改訂案を国会に上程すると伝えられる機会をとらえて、一人ひとりが憲法問題を考えるに当って歴史的事実を押さえて置こうというのが今回の部会開催の狙いです。参加者21名。まず、明治の「大日本帝国憲法」の成立過程の歴史的背景を泉三郎氏から説明された。維新創業にあたっての「五箇条の御誓文」があり、岩倉使節団帰国直後の大久保利通、木戸孝允二人の夫々の憲法制定を急ぐべしとの建白書。
明治14年の政変を経て、自由民権運動家や大隈重信の急進派を押さえて、伊藤博文が憲法調査に渡欧し、グナイストやシュタイン博士の講義を受けて帰り、日本の歴史・風土に則した憲法を井上毅、伊東己代治、金子堅太郎らと夏島に籠って草案を完成させた。結果は、新生日本を一つに纏めるために天皇大権と統帥権を持ち、各大臣が天皇を輔弼し、天皇無答責とする憲法となった。この憲法は解釈に幅があり、後に様々な問題を残したが、伊藤は元老の健在なうちは、この憲法で凌げると考えており、まずはドイツの皇帝大権の憲法を採用したが、民意が成熟したらイギリス式立憲政治憲法への改正も視野に入れていたようだ。
つぎに、芳野健二氏に「私擬(民間)憲法」の歴史を振り返って頂いた。
明治14年政変前後の明治12―14年に58件、明治期を通して100件の全国各地で様々な私擬憲法が作られた。日本の民度は大変高かった。その代表格が植木枝盛の「日本国国憲按」であり、千葉卓三郎の「五日市憲法」である。夫々に、民権を保証する憲法となっており、特に植木の憲法は、象徴天皇制、国民主権、自由、平等(男女も)、国民投票による議会制、健康で文化的生活の権利などを網羅しており、終戦直後の私擬憲法「憲法草案要綱」(代表:高野岩三郎、執筆者:鈴木安蔵)に多大な影響を与えた。肝心なのはこの「憲法草案要綱」は、戦争放棄条項こそ無かったが、GHQ にも英訳されて渡され、マッカーサー憲法草案にそのまま取り入れられとの評価もある。
最後は、「九条の戦争放棄は、幣原喜重郎首相提案である」(小野博正)との新説で、歴史専門家らの現行日本国憲法はGHQによる米国の押しつけ憲法であるとの説に対する反論である。歴史家・大越哲仁氏が近著の『マッカーサーと幣原首相―憲法九条発案者はだれか』の中で、同様な見解を示しており、それが正しいとすれば、戦争放棄の平和憲法も、明治の植木枝盛の憲法草案を終戦後に鈴木安蔵が復権させた民主主義、言論・思想・宗教の自由、男女平等で、差別を否定して健康で文化的生活の権利を謳う現行の日本国憲法は、実質的にはすべて日本人による構想の憲法であって、押しつけ論は単なるGHQの力を利用しただけの単なる形式論に過ぎないことになる。
改憲論争に際し、再考したい論点である。(文責:小野博正)