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iCafé:『岩倉使節団のアメリカ回覧Ⅳ』

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2017年11月26日(日)
『岩倉使節団のアメリカ回覧Ⅳ』
第一部 映像とお話
① 映 像 DVD
『岩倉使節団の米欧回覧』
第3章「ワシントン滞在と東部巡覧」から
② お 話
Martin Collcutt氏(プリンストン大学名誉教授)
*”The Japanese have arrived –The Iwakura Embassy in Washington D.C. February -June, 1872″
『ワシントンにおける岩倉使節団』

*英国ロンドン生まれ。ケンブリッジ大学歴史学部卒、ハーバード大学大学院博士課程修了、「The Zen Monastic Institution in Medieval Japan」(中世日本の禅宗寺院)でPh.D.。横浜国立大学・東京大学で教え、皇太子(明仁)の英語教師も務めた。1986年プリンストン大学教授。1992年9月国際日本文化研究センター客員教授。保守派の日本研究者。2002年「米欧回覧実記」米国編英訳『The Iwakura Embassy 1871-1873』で日本翻訳出版文化賞受賞。

主著Five Mountains : the Rinzai Zen Monastic Institution in Medieval Japan(五山―中世日本の臨済宗寺院)Harvard University Press 1981

第二部 ♪ Mini Concert
~フォスター他アメリカの歌~
Oh! Susanna
Old Black Joe
Camptown Races
Jeanie with the Light Brown Hair
Nobody knows de Trouble I’ve Seen
My Grandfather’s Clock
Amazing Grace
ソプラノ:森美智子(東京藝術大学卒業・同大学院修了、
共立女子高校講師、二期会会員)
ピアノ:植木園子(東京藝術大学別科終了、武蔵野音楽大学卒業・同大学院修了)
合唱:i-Café Singers(会員)畠山朔男Tr.岩崎洋三Tr. 吉原重和Br.西川武彦Bs.

第三部 交流会
シェア奥沢キッチンマススターお手製の軽食とワイン

楽曲解説
1.『おおスザンナ』Oh!Susanna
フォスターStephen Collins Foster(1826-1864)がミンストレル・ショー(白人が顔を黒塗りして登場する、歌・ダンス・寸劇を交えたエンタテインメント)のために1848年に作曲した。「1日中雨だったので、とても乾燥していた。太陽が暑くて凍え死にそうだ。」などナンセンスな歌詞だが、1858-59ゴールドラッシュの賛歌となり大ヒットした。

2.『オールド・ブラック・ジョー』Old Black Joe
1853年に出版されたフォスターの歌曲。「Joe」はフォスターの義理の父の家で働いていた黒人の召使いがモデルと云われる。同時期の『故郷の人々』、『主人は冷たい土の中に』などが黒人英語で書かれているのに、この曲が正しい英語なのは、不仲になった妻ジーニーを追憶しているためか?

3.『草競馬』Gwine to Run All Night(or Camtown Races
フォスターがミンストレル・ショーのために1850年に作曲。Camptown19世紀半ばの大陸横断鉄道敷設の際に鉄道会社が建設従事者のために設けたテント村。(米大陸横断鉄道開通は1869年)

4.『金髪のジェニー』Jeanie with the Light Brown Hair
この曲は1854年に作曲され1850年に結婚した妻Janeが念頭にあったようだ。しかし結婚4年後のその頃には貧困から結婚は破綻をきたしており、歌詞は別れた恋人への郷愁を歌うものになっている。

5.『誰も知らない私の悩み』Nobody Knows the Trouble I’ve
19世紀半ば頃から広まった黒人霊歌。「Glory hallelujah!(主に栄光あれ)」という歌詞が登場するが、この歌詞は北軍の行進曲リパブリック讃歌(The Battle Hymn of the Republic)にも使われている。

6.『大きな古時計』My Grand Father’s Clock
1876年ヘンリ・クレイ・ワークが作詞・作曲。作曲の2年前イギリスのホテルロビーで見た2メートルを超えるlong-case clockにまつわるエピソードにインスピレーション得て、その日のうちに作曲。アメリカに帰国後『My GrandFater’s Clock』発表すると、楽譜は100万部以上売れ、以後大きな時計はGrand Father’s Clockと呼ばれるようになった。

7.『アメイジング・グレイス』Amazing Grace
ジョン・ニュートン(John Newton1725-1807)作詞の賛美歌。作曲者は不詳。奴隷貿易に従事していた彼が22歳のとき、アフリカからイギリスへ帰る船が嵐で難破しかけたが、奇跡的に助かった体験をもとに『驚くべき恵みが、私のような悲惨な者を救ってくださった』と歌う。(文責岩崎)

岩倉使節団のワシントン滞在
1871.12.23(明治4年11.12) 使節団横浜出帆
1872.1.15(明治4年12.6) 米国サンフランシスコ到着
2.29 ワシントン着
3.1 造幣局支局見学
3.4 グラント大統領謁見、国書奉呈、夜日本公使館主催レセプション
3.6 国会議事堂見学、夜観劇
3.11国務省で条約改正第一回会談
3.12グラント大統領主催晩餐会
3.14 ホテルで官吏・富豪を招く「楽隊を雇い、鼓吹して食をすすめ徹宴」
3.20、21副使大久保利通および伊藤博文、信任状取付のため一次帰国
4.2 特許局見学、4.3印刷局見学
4.5 各国公使・日本に帰任するデ・ロング駐日公使夫妻を招き晩餐会
5.3 国務長官・海軍長官とアナポリス海軍兵学校見学
6.9-22 米政府の招待で北部巡覧、6.18 ボストンで太平樂会
7.5 ウェストポイントの山荘にフィッシュ国務長官を訪問
7.22 信任状を取付けた大久保利通・伊藤博文が帰米。
しかし、同日国務省での 第11回条約改正交渉は決裂、使節は離米を決断。
7.27 日本公使館にて送別会、
7.28 ワシントン発、フィラデルフィア、ニューヨーク経由ボストンへ
1872.8.6ボストンから次の訪問国イギリスに向かう。

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