《9月24日(日)i-Café-music開催報告》
埼玉大学松原良輔教授を講師に迎えて、♪i-Café@シェア奥沢♪『岩倉使節団の米欧回覧』(ドイツ編Ⅲ)を開催しました。
第一部 「映像とお話」
DVD『岩倉使節団の米欧回覧』からドイツ訪問部分を上映後、松原良輔先生は貴重な絵図・写真を投影しながら、『古くて新しいケルン大聖堂』と題してお話いただきました。
岩倉使節団訪独時にはまだ建設途上で、塔も未完成だったケルン大聖堂の貴重な絵を披露した後、古代ローマ時代に初期キリスト教徒が集ったケルンに始まり、大司教座に昇格し北のローマをめざした中世、「東方三博士の聖遺物」をミラノから移して、重要な巡礼地になった12世紀など「ケルン大聖堂の古さ」を説いた後、19世紀に至ってケルンがプロイセン領となり建設が再開された経緯・思惑など「ケルン大聖堂の新しさ」に話が進みました。
そして、「大聖堂に織り込まれた新たな意味」として次の3点を掲げられました。
- 政治的な意味:ドイツ・ナショナリズムのシンボル
1842年の定礎式でプロイセンのフリードリッヒ・ウィルヘルムⅣ世は、ケルン大聖堂を「ドイツ人の兄弟的連帯精神の作品」と呼んだ。
- ゴシック様式による教会建築の最高傑作
1823年に「ケルン大聖堂~その歴史と描写」を出版したボワスレーは大聖堂を「いにしえの教会建築芸術の完成形であり、異なる建築様式によって汚されていない純粋ゴシック様式」として大聖堂を完成させる好機と主張した。
- 社会政策的な意味:カトリックとプロテスタントの協和のシンボル
カトリック信徒が大多数を占めていたケルンは、1815年ウィーン会議の結果プロテスタント国プロイセン領となった。派遣されたプロテスタント公務員と地元カトリック女性との間の子供をカトリックとすべしとする大司教とプロテスタント政府が対立したが、プロイセンのフリードリッヒⅣ世は大聖堂を融和のシンボルとすべく妥協した。
着工から完成まで気の遠くなるような時間を要した世界最大の教会建築ぐらいの予備知識しかありませんでしたので、ケルン大聖堂が単なる宗教施設に止まらない、思惑の入り乱れた特殊な歴史的産物であることを教えていただきました。
第二部ミニコンサート
植木園子さんのピアノ伴奏で、ソプラノの森美智子さんと武藤弘子さんがバッハ、シューベルト、メンデルスゾーンの歌を、i-Café Singersがドイツ民謡などドイツの歌を披露しました。
第三部 交流会
シェア奥沢キッチンマスター立山徹さんが丹精込めたアイスヴァインなどドイツにちなんだ料理とワインで、大いに盛り上がりました。(岩崎洋三記)
当日のプログラムはこちらからダウンロードいただけます。