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「宗教思想からみた東西文化比較」

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『宗教思想からみた東西文化比較』

2017年6月19日 歴史部会
参加者:19名、プレゼンター:小野博正

タイトルと若干はずれたかもしれないが、今回のプレゼンの真の目的は、現在も世界中で絶えることのない戦争は、なぜ起こるのか? 一神教支配地域での宗教起源の戦争が、その大半を占めるのはなぜか? 宗教家同士による世界平和への模索は不可能か?一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の歴史と教義を辿ると、「絶対神との人との契約」が基本にあり、人間中心、父権的、自然支配、魂は肉体と共に天国に行くという。その他の地域の宗教は基本的には、魂は死んでも輪廻してこの世に残り、神は自然界の中のあらゆる場所に存在し、修行して神・仏に人間が近づくことで悟りを得ることが一般的で、母性的、自然崇拝的であることに気付く。エレサレムでの過去・現在の紛争一つをとってみても、一平方キロ以内の旧市街にイスラム教、ユダヤ教、キリスト教の三つの聖地があり、ディアスポーラ(離散民)となったユダヤの民と、先住パレスチナ人の双方に対し、1916年サイクス・ピコ密約協定で英仏が勝手に、それぞれに定住する権利を約束したダブル約束があって混迷を深めている。それぞれの違う神への絶対的帰依が求められる一神教は、他宗教への寛容を失うと永遠に平和的解決がない。そこで、①「隣人を愛せよ」は全ての宗教の教義にある②平和を望まない民はいない③人類は6万年前に出アフリカした皆兄弟である④どの一神教も、またインド由来の宗教(ヒンズー教、仏教、ジャイナ教)も、もとはアーリア人(インド・ヨーロッパ語族)が起源で民族的共通性もある。これらの共通項への認識を深めることで、宗教的和解・理解の道はないのか。幸い現在のローマ法王・フランシスコは、宗教間の対話に積極的であり、彼のイニシアチブへ期待する一方、明治期に日本で模索された帰一協会(仏教、神道、キリスト教の合同化=宗教の相異点でなく、契合点を探る試み=階級、國民、人種、宗教の帰一)の実験や、田中智学の国柱会が「侵略でなく道義心に基づく世界統一論」など追及した例に解決の糸口はないか。世界宗教家平和会議を国連主催に格上げして進められないか。宗教は、人々の日常生活を律する規範であるだけに、共通項を求めることは容易ではないが、そこを乗り越えないと、人類にとっての未来は見えない。

この永遠の課題について、ささやかな試みであるが、話し合ってみた。(文責:小野)

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