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実記輪読会:38巻「バーミンハム(北明翰)府ノ記」

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日 時:2021年3月10日
場 所:ZOOMによるオンライン

明治5年10月3日~6日(西暦1872年11月3日~6日)
使節団は「スタットホルト」及び「ウォリッキ」をバーミンガムのホテルを拠点にして2日間の行程をこなした後、引続き同ホテルに宿泊し10月3日から6日までバーミンガムを探訪する。

10月3日は日曜、見学はなく英接待者ともども休みをとる。
10月4日、ホテル隣接の商業会議所でバーミンガム市長による歓迎会が商工会議所会頭列席のもと多数の商工業者が集い開催される。
① まずエディンバラで見学した灯台の照明装置を製作しているチャンス・レンズ工場(職工2500人)を訪れる。硫酸、ソーダなど使用する板ガラスの製造行程を見学した後、久米は日本が学ぶべき化学および化学工業論を付記する。

② 針製造所(裁縫針、ヘアピン、虫ピンなど約100種類製造)を訪問。休業日のため実地見学はなし。

③ ヒンクス&ウエルズ鋼製ペン製造所(職人500人、女性多数、週60万本のペン先生産、蒸気機関25馬力)を訪れ、鋼鈑を仕入れナフサなど使用して各種ペン先、製品入ケース等工程見学。

④ アストンボタン製造工場(職工800人、蒸気機関使用)を見学。ボタンの種類は大変多く、南米産ゾウゲヤシなど使用してプレス機で製造される。

10月5日
① 釘製造工場(職人300人、蒸気機関150馬力使用)を見学。針金を仕入れ、機械でプレス加工する工程を見る。    ② オスラー社のガラス工場(職人150人、蒸気機関20馬力使用)を見学、ガラス研磨等の工程とともにオーストリア万国博出品のガラス水盤などに注目する。

③ エルキントン真鍮器具製作所(職人500人)見学。錫・亜     鉛・銅の合金に直流電気を使用しての金、銀メッキなどの工程見学のほか、マレー産ゴム樹脂や原料の貿易について言及する。
また同製作所には紫式部石山日記の図を彫刻の日本製火鉢や柿本人麻呂の座像があり、紫式部の絵柄や人麻呂のことなど尋ねられるとともに日本人の画作と画法が高く評価されているこを知らされる。

④ 政府認可のもとバーミンガム貨幣鋳造会社を訪問。工場内は案内されず、政府との関係や外国の貨幣製造受託ことなどの説明を受ける。

⑤ バーミンガム小銃製造会社を訪問。見学はなし。小銃の種類     米国の小銃との性能比較のこと、ロシアから3万挺に及ぶライフル銃受注のことなどトピックにも触れたほか、新たに発明された「機関銃」も見せてもらう。

10月6日
バーミング駅からウースターに向かう。なお、ウースターへは    久米の記述では北方に向かうとしているが、実際は南方にある。    ① キツネ狩りに見学招待される。狩人60人、犬50頭でキツネ     一匹を追う、女性たちも見学。日本の「犬追物」に似る。なお、キツネ狩りは種々規制が設けられていたが一般農民には畑が荒されるなど非常に迷惑であった。

② ロイヤル・ポースレイン陶磁器工場見学。この工場では主に 日常用の陶器が中心で上等品は少ない。

  •  バーミンガム概要
    バーミンガムは現在、ロンドンに英国第2の大都市(使節団回覧当時人口は第5位)。現人口114万人。15世紀末頃から金属製品の製造が盛んとなり、刃物類、銃器、装身具の生産で知られる。18世紀にスタッフォード炭田と運河で結ばれるとともにワットと工業経営者ボールトンとの共同経営会社による蒸気機関の製造が始まる。ワットがボールトンの協力により最初の蒸気機関の製作に成功したのは1776年バーミンガムであった。バーミンガムは産業都市の中心として工業が飛躍的に発展した。1834年バーミンガム~ロンドン間 の鉄道も敷設され、幹線道路とともにイングランド中部の交通の要となっていた。その後もイギリス製造業の中心地として、自動車、金属、機械工業の主要生産地となる。20世紀に入り、都市計画や一方通行道路の導入など先駆ける。
  • ボールトン&ワット蒸気機関(『レンズが撮らえた19世紀英国』(海野弘、山川出版社)より)
    ボールトンとワットは、共同で蒸気機関を開発し、1776年にはじめて業務用に実働する蒸気機関2基を完成。うち1基は共同事業者ウイルキンソンに、もう1基はティプトン鉱山に納品し、どちらも正常に稼働してよい宣伝となる。以降、蒸気機関を何千基も据えつけ工場や製粉所、製糸場の製造技術の向上をもたらす。
    そして蒸気機関車、蒸気船に応用され、産業革命の原動力となる。

    • 産業革命とは(1760~1840)

    産業革命とは、歴史家アーノルド・トインビーが1760年から1840年までイギリスから始まった農業中心手工業の時代から機械工業の発展により経済社会が大きく変化したことを指して名付けられたもの。その特色は第一に工業技術の変革があり、第二に経済社会の変革であり、第三に文化の変容である。これがイギリスから欧州大陸とアメリカへ、さらにアジア、特に日本へ、第2次大戦後はインド、中国へ波及していった。工業技術、産業技術の変革を具体的に見ると次に通りである。(英ウイキペディアによる)
    (1)新しい(基礎)資源、鉄などの原料、素材の活用。      (2)新しいエネルギー資源(石炭、蒸気機関、電気、石油、内燃機関の活用。
    (3)新しい機械、小さな力で生産性を高めるジェニー紡織機など。
    (4)新しい工場システム、分業・分散化と特化・集中化促進。
    (5)新しい交通・情報の発達、発展(蒸気機関車、蒸気船、自動車、電信・ラジオ)。
    (6)自然資源と商品・製品の大量生産をもたらす科学技術の産業化への適用、あるいは産業への科学技術の応用。

    (大森東亜)

     

 

 

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