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実記輪読会:34巻 「新城府ノ記 下」

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米欧回覧実記 第34巻 新城府ノ記 下
明治5年9月21日(1872年10月23日)

丸一日のニューカッスル市内見学記。当日は晴天。

〇 エクスチェンジ(取引所)-午前10時に車で出発し、取引所を訪問。会員より歓迎され会議堂にて商工会議所会頭のスピーチがあり、これに大使が答辞。会員足を鳴らし帽子をとって大祝声をあげ一行を歓迎。そこから市長、会議所会頭同道でタイン河岸の蒸気船に向かったが、その沿道では、市民が群がり奔走して大いに混雑した。

〇 新タイン橋-タイン河(最深20m幅140~50m)を遡上し新タイン橋架橋現場に至る。基盤造成現場を詳述し、石造りの堅美な眼鏡橋の造成が人件費、石材の調達、建築の精巧性を含め、如何に大事業であるかを強調。好例として、ローマのダイバル河橋が2千年間も堅牢美観を保持していることや、ロンドン橋は1千万ドルの巨費を要したこと等を列挙。

〇 ヘブバーン地区(タイン河下流)の錬銅工場-純銅精錬が如何に難事業であるかを力説。チリの古い銅器や日本の三種の神器をひき、これらと純銅の精錬は全く別次元の物で、化学の進歩がそれを初めて可能としたことを詳述。更に日本の銅細工の欧州での好評価に触れ<その技巧は円熟して風致があり欧州の真似ならぬ独特と思われ、銅質の調和溶煉、発色術は秘密のものがあると大変賞美されているが、美術品としての評価に過ぎず多量輸出用の工業製品ではない>ことを非常に残念がっているのは今日的観点からは非常に面白い。

〇 ヘブバーン駅近くに上陸し浚渫船を見る-タイン河は浅かったため泥土を浚い、波止を造り潮を押さえて遂に良港としたこと、浚渫の仕組みを詳述。船長130mの当時世界第2位の大郵便船フィルハーブリー号が停泊していたことを記載。この岸で昼食。

〇 ヘブバーンの製鉛工場見学-ギリシャから棹鉛を輸入し、銀を分別し、白鉛を酸化して鉛丹を錬成する工程を詳述。この過程で見学場所による説明の食い違いから西洋工業について久米の卓見-西洋人は皆が理化学を知悉している訳ではない。個々の持ち場のみの専門家の集合であること、西洋の強みは分業にある-を開陳。更に白鉛製造場では婦人の作業人が多いこと、白鉛粉は化粧用品には使わず、家屋や船の塗料とし、化粧用は米から作ること、別の場所での丹鉛(塗料用)製造では作業員に健康被害が生じていることも記載。

〇 南シールズ(タイン河の6~7㎞下流)のソーダ製造工場-両岸は全て造船ドッグ、マスト林立。リヴァプールに似ると記載。普通サイズの船舶の造船。スチーブンソン氏(国会議員)のソーダ製造場訪問。塩からコロールを分け、ソーダを抽出する工程を詳述。

〇 南シールズの海角-岬から海中に湾型に高さ6mの石垣を1.6㎞築出した波止に至る。河口の船学校で水夫業を教習中の生徒が帆柱に登って帽子を取って祝声をあげた。

〇 対岸のタインマウスの灯台(北緯56度、西経2.度27分)と天文台-当地は北海に直面し難破事故が多い。当日難破船救助の演習があり、パークスがこれに参加。船長他みな従ってタインマウスの街を歩き駅に向かう道中、村民の多くが追従し、混雑した。

6時に駅発。ホテル帰館7時。この日の船の行程は距離12~3㎞。夜8時よりアームストロングの天文台訪問。直径60cm、厚さ10㎝の世界最大の望遠鏡(5千ドルで購入)見学。

(栗明記)

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