『西洋近代の普遍性を問う』
5/15/2017 講師は吹田尚一氏。
20名参加。
今年の歴史部会の通底テーマが、「西洋の近代を疑ってみる」ことにあるので、今回はいきなり本丸に踏み込んだ感じである。西洋近代が達成したものには普遍性・合理性があるので、すべてが正しく、非西洋的社会は西洋により啓蒙すべきとの思想に予てから違和感をもっておられた吹田氏は、既存哲学思想を掘り起こしてこれを検証する。日本の知識人に多大な影響力を持ったヘーゲルの『歴史哲学』の進歩主義への疑問から始まり、ヤスパースの枢軸の時代―いまから2500年前に、シナで孔子、老子,荘子,墨子,列子が生まれ、インドでは、ウバニシャッド、ブッダが生まれ、懐疑論、唯物論、詭弁術、虚無主義が展開される。イランではドロアスター教が善と悪の二元論を生む。パレスチナでは、エリア、イザイア、第二イザイアが、ギリシャではホメロス、ヘラクレイトス、プラトン、アルキメデスが現れた。つまり、シナ、インド、西洋で同時発生的に、今につながる思想の原型が総出現した―に注目した。そして、ヤスパースは西洋の特異性としての、合理性、個、自由、普遍尊重、一神教、二者択一の二元論、人格的愛などの特徴を上げつつも、近代ヨーロッパ文明は、決して完成でも、万全でも、絶対でもなく、西洋に欠落するもの、失われたもの、それを補完するもの―つまり人間存在の根源に触れるものがアジアの中にこそあると言った。西洋とアジアの橋をつなぐのはアジアの宗教にのみ可能性があるという。
自然科学も絶対ではない。真理もまた然り。今の生活をよりよく生きるのは、徹底的歴史主義や開かれた歴史主義に活路があると吹田氏は考える。分裂した自然科学と人文学を融合し、程よい弱い合理性で満足しよう。そして、強制によらない緩やかな合意、新ぼかし主義に徹することを提唱する。
例えば、西洋普遍主義の極みとしての「アメリカ帝国の制覇とその破綻」を考えると、その成功には開かれたフロンティアが充分にあり、資源豊富で、封建制がなく、宗教の道義主義的目的と,福音主義的精神で近代の帝国となった。半面で、フロンティアや道義的目的の喪失や、ベトナム、イラクなどの失敗で破綻し、内向きのトランプを選択するに至った。
今の世界は、第二の枢軸の時代が求められる。それは地球的規模の視点に基づく、新たなる思想で、ヤスパースの言う非西洋的智恵、とりわけ仏教的世界観や東洋の気のようなもの、二元論を脱した個と全体の調和を図るホロニックや生命文明学、人間環境学など、トランスパーソナルなアプローチ、ニューサイエンスなどが考えられると。
次回6月の歴史部会では、『宗教思想からみた東洋と西洋』で、続きを考えてみたい。
(文責:小野博正)