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実記輪読会:30巻「哥羅斯哥府(グラスゴー)ノ記」

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日時:令和2年7月8日(水)13.00-15.00
場所:ZOOMに依るインターネット開催
範囲:第三十巻哥羅斯哥府(グラスゴー)ノ記(pp.188-206 )
ナヴィゲーター:岩崎洋三

4月に始まったインターネット開催は早や4回目になったが、今回も宮城・滋賀・徳島の地方会員が参加して下さった。また、吉原さんが終了直後に2時間半に及ぶZOOM輪読会の録画をメールで送ってくれた。これらの利便性のあるネット開催は、今後とも欠かせないものになりそうだ。

前章のマンチェスターの時もそうだったが、使節団の英国訪問については、多くの現地資料があり、中でもシェフィールド大学日本研究センターのThe Itinerary of the Iwakura Embassy in Britainは滞英中の使節団の行動を現地新聞等の記録を隈なく寄せ集めたもので、久米が書き漏らしたことや人物・場所等の正確な名称を教えられ、実記を読むには現地資料併読が必須と痛感した。

1) イングランド北西部とスコットランド視察の旅へ
 使節団は、8月17日に英国入りした後、約一月半ロンドン及び周辺を視察後、9月末から約一か月間パークス、アストンの案内でイングランド北西部のリバプール、マンチェスター及びスコットランド視察の旅に出た。

スコットランドには約2週間滞在するが、その始まりがグラスゴーで、次の目的地エディンバラに向かうまで3泊して、製鉄所、機関車製造所、紡績工場、造船所、大聖堂、商業会議所等を視察した。また、コットン・パニックによる貧民対策の給食所(キッチン・デポ)も見学した。

2) マンチェスターから運河沿いの鉄道でグラスゴーへ
 グラスゴーはイングランド北西部のマンチェスターの北方185マイル(久米は300マイルと誤記)にあるが、使節団は鉄道で移動した。久米が「銕路二ソフテ、時二運送河ヲミル」と記したのは、1826年に完成していた全長98km.の「ランカスター運河」だ。この運河はリーズ・リバプール運河を経てマンチェスター、リバプールと繋がるなど、英国は運送・灌漑目的で、高架水路や立体交差なども駆使して、国内縦横に運河を整備していた。

3) グラスゴー郊外の貴族の館に3泊
 使節団はグラスゴーには宿泊せず、13マイル西のビショップトンにあるエルスキーネ・ハウスという貴族の館に招かれ3泊し、グラスゴーには毎日汽車で通った、この館は200年続くブランタイル家のもので、その後病院やホテルに転用された壮大なものだが、当主12代ブランタイル氏は上院議員も務めた政治家だ。それにしても、所有地が57平方キロに及ぶというから驚く。

久米はこの体験もあって、「野村を回れば、貴族豪姓の権利大にして貴顕政治の態を見る」として英国の政治が、ウェストミンストレル諸区の「立君の光」、シティー及び各都府の「共和政治」、そして「貴顕政治」の三様の治から成ると理解した。

 

4) グラスゴーはスコットランドの最大都市
 久米が「亜米利加諸国トノ貿易甚ダ盛ナルヲ以テ、綿布ノ製作二高名ナ漫識徳府二亜ス」と表現したグラスゴーは、港町と川で繋がるメリットを生かして、綿花・タバコの輸入、製鉄・造船・機関車製造等で潤ったが、極度のアメリカ輸入依存で、アメリカの独立戦争や南北戦争では多大な被害も被った。

5) 蒸気軸車「トップス」会社(Dubbs and Co.)見学
 同社はドイツ移民が1863年に興した蒸気機関車製造所で、後に合併して世界最大の機関車North British Locomotiveになり4485両もの蒸気機関車を世に出す役割を担った。使節団案内役パークス駐日公使は、、日本が新橋横浜鉄道建設の建築師長として英国のエドモンド・モレルを雇うことを推薦するなど、日本の鉄道建設に積極的にコミットした。日本は1871年から1911年の間に英国から1023両もの機関車を輸入したが、内600両近くがNorth British を含むグラスゴーからだった。

6) グラスゴーはスコットランド宗教改革の中心
 グラスゴーは6世紀にカトリックの聖人によって開かれ、1136年にはグラスゴー大聖堂が建立され、1451年にはローマ教皇勅書によりグラスゴー大学が併設された。

しかし、1517年のルターに始まる宗教改革の波はスコットランドにも及び、スイスでカルヴァンに共鳴したJohn Knoxが帰国後プロテスタントの反乱を起こし、1560年プロテスタント長老派が国教と見做され、グラスゴー大学学長でもあったビートン大司教は逃亡、大聖堂はスコットランド国教会グラスゴー長老会のものとなった(Scotland Reformation)。なお、久米は使節団の大聖堂訪問を記録していない。

7) Cooking Depotでスープを試食
 実記には記録されてないが、使節団は大聖堂の次にブキャナン通りのThe Great Western Cooking Depotに案内された。ブキャナン通りはタバコ貴族と言われたAndrew Buchananが開発した瀟洒な建物が並ぶ地域だが、Cooking Depotはコットン・パニックで失職した人たちにまともな食事を安価で提供すべく作られた500人規模の大食事スペースだ。岩倉大使がスープを試食して、多くの人がそのようなサービスを受けられるのは喜ばしいと語ったことが、現地新聞で報じられている。(岩崎洋三記)

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