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実記輪読会:29巻「漫識特府(マンチェスター)ノ記下」

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日時:令和2年6月10日(水)13.00-15.00、
場所:ZOOMによるインターネット開催
範囲:第二十九巻漫識特府(マンチェスター)ノ記下(pp.170-187 )
ナヴィゲーター 岩崎洋三

インターネット開催は4月に始まり今月で3回目になった。ネット化で地方会員も参加可能になり、今回も地方からお二人参加して下さったのは嬉しいことだ。本日は、使節団のマンチェスター滞在5日間の後半3日間の部分全17ページを読んだ。いつもの様に輪番で音読し、合間にナヴィゲーターが訪問先の写真や新聞記事等の現地情報などを34コマのパワーポイントで示しながら解説し、意見交換した。

第1日は日曜日のため、公園・近郊見学にとどまったが、二日目はサラサ染色、紡棉場、綿布織場、ゴム製造所等4工場見学、禁酒協会来訪、市議会訪問(実記記載なし)、市長主催晩餐会、芝居見学。三日目は綿製品卸売店2か所、裁判所、学校、取引所見学、タウンホールでの商工会議所集会で挨拶、ホテルで商工会議所主催晩餐会と、相変わらずハードな日程をこなす使節団のバイタリティーはすごい。

1)コットン・パニックの記憶をとどめるAlexandora Parkを見学

日曜日に案内された「ガーテン」は、アメリカに南北戦争(1861-65)が勃発したため綿花輸入が途絶えて、周辺部を含めると2650社にも上る綿紡会社があった綿業都市マンチェスターは多くの工場閉鎖・大量失業者発生に見舞われた(Cotton Panic,Cotton Faminとも)。この公園はそれら失業者の救済事業の一環として造園され1870年に開園した。久米が「未ダ美ナラズ」と書き留めたのは、開園間もなくのため樹木が育っていなかったためであろう。

2)禁酒運動団体幹部の来訪

ホテルに「テンペラント会社」の幹部が訪ねて来た。この「会社」はランカシャー及びチェシャイア州で禁酒・禁煙運動を展開している団体で、使節団は前日3000人を集めた年次総会に招かれ歓迎されていた。久米は、この招待を記述していないが、禁酒運動については約1ページを費やし詳述し、「東洋にて、男子は酔いを以て豪とし、淫欲を以て風流とするに至っては、西洋文明国の尤も醜穢とし、唾棄するところ」と趣旨に賛同している。

3)ウァツ氏の「ウェヤ、ハウス」布帛蔵を見学

久米が布帛蔵と訳した「ウェヤ、ハウス」はManchester warehouseで「マンチェスター物の卸売店」を意味する。小売店はManchester departmentと称されていた。(英訳実記注記)
5階建ての建物を、久米は「約二十間二五十間ノ大廈」と淡白に表現しているが、「英訳実記」注記等によれば、「貴族が羨ましがるであろう建物」「the Queen of Manchester’s warehouses」と称された壮麗なもので、床面積は6エーカー(7345坪)もあった。内部は、1階がエジプト様式、2階イタリア・ルネッサンス、3階オランダ、4階エリザベス朝、5階ベルサイユ宮殿鏡の間と各階異なるデザインを採用した豪華さで、歴史的建物に指定されている。

なお、「タイム・マシン」で文壇に登場するH.G.Wellは、自伝に「服地屋の見習いの時、Manchester departmentに送り込まれたが、そこで最初に見たものは・・・当惑するほどの種類の長布、キャリコ・・・限りないオムツ、テーブルクロス、綿服地等のロール・・・ 」と「マンチェスター物」の豊富さを書きとどめている。

4)市議会訪問と市長主催晩餐会

タウンホールでの市議会に招かれ挨拶を交わしたのち、宴会場で市長主催の晩餐会に招かれた。久米は「会食百数十人、スピーチ等例ノ如シ」と一行にも満たぬ記述にとどめているが、現地の新聞は岩倉大使の挨拶も含め詳細に報じている。また、市長が同席のパースク駐日公使に特別に乾杯し、英国代表として日英関係強化への貢献を謝し、対日貿易拡大へ更なる貢献を期待するという部分も長文で掲載されていて、マンチェスター・ビジネスマンの思いが伝わる。

5)観劇

実記には、「八時ヨリ芝居ニ赴ク、使節ノ為メ別段ノ演劇ニテ・・・場内二両国ノ国旗ヲ交叉」程度しか書かれていないが、現地記録によれば、The Prince Theaterでのシュークスピアの「ヘンリー五世」観劇に招待されていた。綿業都市マンチェスターは、古典演劇を上演する劇場を建てた他、ディケンズ、サッカレー、H.Gウェルズ等作家を育くむ等文化活動にも熱心だったようだ。

6)商工会議所会頭主催晩餐会

マンチェスター商工会議所会頭Mr. Hugh Mason主催の晩餐会が使節団の宿舎Queen’s Hotelで開催された。久米は「会食百三十人、スピーチ等例ノ如シ」と前日の市長主催晩餐会と同じ表現にとどめているが、シカゴの村井さんが探してくれた現地新聞によると、会頭が「マンチェスターにも日本の文学が伝わっていると切り出し、マンチェスター出身のFrederick Victor Dickins(1838-1915)が1866年に出版した「英訳百人一首」から持統天皇の『春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香久山』を英語で読み上げたことが英訳詞を載せて紹介されている。訳者のDickinsは、1864-66年海軍船医として横浜に3年間駐在。1871年には法廷弁護士として再来日し、パークス、サトウとも交流があった人物。『百人一首』の他、『竹取物語』,『忠臣蔵』,『方丈記』も翻訳、シダ類収集で南方熊楠とも親交があったという知日家だった。(岩崎洋三記)

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