コンテンツへスキップ

実記輪読会:28巻「漫識特府ノ記上」

  • by

日時:2020.5.13(水)13.00-15.00、
ZOOMによるインターネット開催
範囲:第二十八巻漫識特府ノ記上(pp.151-169 )
ナヴィゲーター 岩崎洋三

インターネット開催は今回で2回目だが、従来よりも多くの会員に参加していただき、活発に議論され、終了後飲み物を持ち寄ってやる懇親会にも多くの方に残っていただきざっくばらんに意見交換出来たのは、嬉しい誤算だ。本日は使節団がリバプール訪問を終え、5泊6日でマンチェスターを視察する前半部分を、いつもの様に輪番で音読しながら、ナヴィゲータ―がパワーポイントで解説を加える形で進めた。

1)岩倉使節団英国に4カ月滞在、鉄道で全国を視察
使節団は最初の訪問国アメリカで、不用意に始めた条約改正交渉に手間取り、滞在がなんと約7カ月に伸び英国到着が大幅に遅れた。1872年8月17日リバプール経由ロンドンに到着した時には、ヴィクトリア女王が夏期休暇中で会えず、謁見は4カ月後の12月5日やっと実現した。

この間英国側は接待掛のアレキサンダー将軍、一時帰国中のパークス駐日公使、アストン書記官を付けて、産業革命(1760-1840)の花開いた英国各地を鉄道で丹念に案内し、使節団は鉄道を含む産業革命の成果をたっぷりと見学し、近代化の方向を見定めることになった。

2)マンチェスターは「Cottonpolis(綿業都市)で 産業革命の中心地」
 マンチェスターには、リバプールから、1830年に開通した世界初の実用鉄道Liverpool and Manchester Railway(全長30マイル半)に乗車した。岩倉使節団出発直前に新橋横浜鉄道が仮開業し、使節団は英国式鉄道を体験済だったで目新しさはなかった。マンチェスターはCottonpolisと呼ばれた綿業の中心地。綿業が栄えると1800年に9万人だった人口が1871年には48万人(含サラボール)に増加した。

周辺部を含めると2650社にも上る綿紡会社があり、婦女子を含む44万人労働者が従事していた。それらが産業革命に伴い、動力を水力から石炭を燃料とする蒸気機関に変更したから、地域は「煙霧濛濛」だった。使節団は棉紡会社の他、板硝子工場、製銕場、巡回裁判所、牢獄も見学した。

1842年から3年間同地に滞在したマルクスの盟友エンゲルスは、「1844年の英国労働階級の状況」を出版し、劣悪な労働条件を批判した。また、1966年に流行り、日本ではザ・ピーナッツ歌った「マンチェスターとリバプール」では「埃っぽくてロマンチックじゃないけど、煙と石炭片の後ろに偉大な都会の鼓動を見つけるわ」と歌われている。

 

なお、棉紡の原料綿花の多くを米国からの輸入に頼っていたイギリスは、南北戦争で輸入が途絶え時コットン・パニックないしコットン飢饉と呼ばれる。

3)大歓迎された使節団、背景に対日輸出拡大の目論見
市庁舎の壁面に1872年10月に日本の岩倉具視特命全権大使一行が、英国の成功した行政、産業、商業を学ぶマンチェスターと北西部を訪れたこと、岩倉大使が丁寧な謝辞を述べ、日本へ招待したことを公にしている。 

 もちろん日本との貿易拡大意欲は旺盛で、ビジネスマンとの会合も少なくなかった。因みに蒸気機関車の対日輸出が、1871年から1911年の間に1023両に上るが、その中心がマンチェスターとグラスゴーだった。 

4)文化度も高いマンチェスター
使節団は45日のマンチェスター滞在中二度も「芝居」に案内された。「Love Chaseというコメディーは近年も「Poetry of the Month」に輝いくほどの名作らしい。また、二度目はシェイクスピアの「Henry Ⅴ」だった。使節団が泊まったQueenHotelは、工場を持つ繊維商が自宅として建てたもので、有力貴族に混じってCharles DickensWilliam Thackeray等の作家を招く文化人だった由である。 

6)綿業都市の悲劇、1861-1865Cotton Famine(Cotton Panic)
綿花の大半の輸入をアメリカに依存していたイギリスは、南北戦争で綿花輸入が途絶えたことで、大量の工場閉鎖、失業(75%がレイオフされた)に見舞われ、政府は30万磅の救済資金を用意したが、十分ではなく海外移民を余儀なくされ労働者も少なくなかった。使節団が三日目に案内されたAlexandra Parkはその時の失業対策事業で作られていた。

7)久米が書かなかった、禁酒運動年次総会への招待
英国側の記録では、使節団は二日目に、6000人収容のFree Trade Hallで開催された禁酒運動団体*の年次総会に招待され3000人の参加者に大歓迎された。そしてその夜は市長宅のBuffet Dinnerに招待されたが、いずれも実記には書かれていない。
Lancashire and Cheshire Band of Hope and Temperance Union

以上

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です