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「近代世界にとっての条約改正問題」

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本年の歴史部会のテーマ『西洋文明とは』に沿って『近代世界にとっての条約改正問題』の演題で、条約改正交渉史から見える西洋の論理を、昨年の20周年シンポの『岩倉使節団の明治国家にもたらした〝光と影“パネルのモデレイターを務められた五百旗頭薫氏にお願いした。参加者22名。氏は、2010年の尖閣問題のタイミングで『条約改正史』を発刊したのも、不平等条約問題は、今の日米安保条約における沖縄の地位協定にも通底する問題と考えておられる。西洋の普遍主義は、良い普遍主義も多いが、①抑圧としての普遍(半文明=日本、中国、シャム=政府が作れる国)②排除として普遍(未開、野蛮=アフリカ諸国など=植民地化)とキリスト教国など西洋の文明国との三分法で捉えて、日本は、努力すれば文明国になりうる国として不平等条約を締結させられた。然し、日本の不平等条約は、清国のように内地開放を外国に認めておらず、悪いとされる「協定関税」(関税自主権)も、日本側が税収欲しさに輸出税を自ら課するなどの面もあり、「領事裁判権」も、人と人との問題解決には大きな不都合があったとは思えない。領事裁判権が、細かい行政規則の違反にまで拡大適用されてきたことへの行政権回復への苦闘こそが、日本の条約改正交渉の40年も要した真相であったという。その領事権の行政権への拡大は、必然的に領事の行政能力を超え、領事権の機能不全をもたらし半ば自滅した。日本が条約改正に成功したことは、西洋文明を揺さぶる世界史上の分水嶺ともなった。日本は古来、稲作、律令、仏教、シルクロードの文物、西洋など外国からの文明を〝まれびと”=よいものをもたらすもの=普遍の受容器であった。そして、それを「日本としての方法」で日本文明化してきた。近世の職分意識=それぞれの人が、それぞれの立場で自分の職分を守ることで切磋琢磨して文化を磨いてきた。日本は、今後も西洋・東洋の良い面を取り入れた偏らない本筋をアセットとして、世界の灯であり続けられないか。

議論は、BrexitやTrump問題、Post Truth等多岐に亘った。私には、『大隈重信と政党政治』の著者でもある氏の、明治14年の政変で、大隈が国会開設を急いだ理由が、財政家の大隈は、国会で早く財政立て直しを決めたかった。本来、国会にも政党にも興味なく、常に政府の中心にあって、能力ある官僚に信頼して任せて、強気にわが道を歩きたかった人とのコメントは面白かった。また後日の、Post Truth 問題での登板を示唆された。期待したい。(文責:小野博正)

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