日時:令和元年12月13日 13:30~17:00
場所:日比谷図書文化館 4Fセミナールーム
内容:3年後の岩倉使節団派遣150周年記念企画の初回として大蔵省関係者4名を取り上げた。
1.富田命保(発表者:三須)
1865年 横須賀製鉄所建設計画を進めるべく渡仏・英
1871年 岩倉使節団に参加渋沢栄一の推挙で田中光顕理事随行として参加。
1875年 紅茶の輸出を図るべく南保と渡英。
1928年 77歳で死去、墓地は染井霊園。
富田日記については富田兼任さんが発表し、ワシントンでの行動や、大久保、伊藤の帰国に吉原と小松が同行との記載あり。
2.吉雄辰太郎(発表者:吉原)
長崎のオランダ通詞の家柄に生まれ、田中光顕の随員として参加。給料の支給を行った。富田日記には吉雄辰太郎(永昌)氏は紙幣製造管理という役目を命ぜられニューヨークに滞在することとなり田中理事官随行の役を解かれたとある。紙幣印刷監督としてNYのアメリカン・バンクノート・カンパニーに駐在した。帰国後は大蔵省紙幣寮に出仕し1875年にフィラデルフィア博覧会視察のために渡米。1894年に死去。
3.若山儀一 (発表者:栗明)天保11(1840)年、江戸の旗本・医師・西川宗庵の子として生まれる。フルベッキに就いて経済学を学び田中光顕理事官の随行として渡米、翌5(1872)年5月国租事務取調方として、大蔵代理事官心得を以て欧米諸国における研究を命ぜられ、10月更に、米国ニューヨークにおける紙幣並びに国債刊楊事務監督を命ぜられた。結局、明治7年に帰国するまでの3年間、欧米で税務・財政の研究にあたる。彼は国際結婚をした。明治24年死去。52歳。
4.今村和郎 (発表者:小野)
土佐藩高岡村の豪商の長男として誕生。
田中不二磨理事官随行として使節団に参加、役職は理事官随行・文部省中教授。
条約改正交渉を始めた本隊から離れて、1872年2月パリに入り、ジュネーヴ、ベルリン、サンクトペテルスブルグを回覧し帰国後ボアソナードと民法制定に尽力。
明治24年死去
(文責:吉原重和)