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実記輪読会:17巻「ワシントン」市後記

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日時:2019.4.17 13:10~14:50
場所:日比谷図書文化館4F セミナールームA
内容:P303~P317
ナビゲーター:冨田兼任氏

5月17日北部廻覧の旅よりワシントンに帰着。その後、猛暑が続き38℃の日もあった。6月17日大久保・伊藤両副使ワシントンに帰着、その日のうちに米国側に条約交渉打ち切りを通告。
19日グラント大統領に謁見
20日各国公使館に「出立」の挨拶、各省高官を招き別離の宴
22日ワシントン出立

この巻は大きな紀行の記述なく、一般風俗や産業事情などへの感想の記述が見られる。
避暑のため多くの人が都会を離れ、この時期ワシントンは閑散としていた。ナイアガラやサラトガスプリングスの例を引き、肥前の温泉などは旅館業に力を入れたらよい、と。

南部のタバコ、米、綿花、サトウキビ産業を概括、日本米は人気高いので遠距離の輸送法さえ確立すれば輸出も可、と輸出振興にも言及。久米の着眼は現代に通じる。

共和党と民主党の大統領選の様子が記述されていたので、南北戦争の経緯を調べた。グラント大統領は戦争終結時の北軍将軍で勝利の立役者。奴隷売買は1619年に始まり18世紀に入りタバコ栽培等の労働力として増加、1720年の記録ではバージニア州で88,000人の内黒人が27,000人。自由擁護を掲げるアメリカ独立精神を信奉する北部は、ロッキー山脈の準州などを連邦に組み込むにあたり連邦議会で自由州か奴隷州かで南部と勢力争い、1860年リンカーンが大統領になると翌年南部諸州が連邦離脱を宣言、南北戦争が勃発、奴隷制を巡る連邦維持か否かが要因。
ヨーロッパは建前上不干渉だが、心情的には南部寄りでアラバマ号事件【イギリスが南部連合のために建造した船舶。戦争終結後イギリスが合衆国に1550万ドル損害賠償費を払った】なども起きた。1863年奴隷解放宣言を経て、1865年南北戦争は終結した。・・主に山川出版社 世界歴史体系アメリカ史1より

使節団が訪れた時期は、南北戦争後のバブル景気に沸いていたため経済的余裕が国を挙げての使節団大歓迎に通じた、との見方もある。

富田命保日記によれば、5月21日帰国していた小松済治氏がワシントン帰着、とある。(冨田兼任記)

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