日時:2018年11月19日 2時~
場所:国際文化会館 4階会議室
演題:「幕末維新の日米交流人脈史」
講師:村井智恵(会員)
参加:22名
開国前後の日米間交流を主にアメリカでネット公開されている資料から大まかに紹介した。
1. ペリー以前の日米交流
ネット上にある資料として、初代サンフランシスコ日本領事のC.W.ブルックスが1875年に発行した「米船に救助された日本人のリスト」と、その中の一人であり、日米関係に大きな役割を果たしたジョセフ・ヒコを紹介した。当時の日米人を網羅する豪華な登場人物とダイナミックなヒコの半生もネットで読めるのでぜひお勧めしたい。
モリソン号事件と戊戌夢物語
高野長英が「戊戌夢物語」で語る「モリソン」は、船名と人名を混同している点を勝海舟が「氷川清話」でも指摘しているが、実際は長英の語った人物(ロバート・モリソン(英))の支援者がオリファント商会(米)、モリソンの名を冠した同社の船がモリソン号、同社の代表がモリソン号に乗って来たキングである。従って、ロバート・モリソンとモリソン号は密接且つ直接的に関連している。或いは長英らは(或いは海舟も)そのことまでわかっていたのかもしれない。
2. 開港後の日米交流
1859年の開港後、各開港地に居留していた外国人は当時出版されたディレクトリー(住所録)が参考になる。
アメリカ留学生
日本人留学生が激増する1870年より以前にアメリカにいた留学生は、主に、NJ州ニューブランズウィック(ラトガース大学とそのグラマースクールなど)、ボストン、MA州モンソンにいた。ほかにMA州アマーストに新島襄、NY州ブロクトンにも日本人がおり、その後日本にやってきたお雇いの多くは彼らと関係している。
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後半は出席された方々との情報交換の場とさせて頂いた。特に解体新書時代についての解説を頂くなど、有意義な討論となったのは怪我の功名であった。
文責:村井智恵