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実記輪読会:3巻 「サンフランシスコの記 上』

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2017年12月20日
場所:日比谷図書文化館
参加者9名

1871年12月6日サンフランシスコに到着。金門から湾内を望む風景描写に23日ぶりの山水の眺望とあって喜びが滲む。使節到着が祝砲で迎えられる。ブルックス日本領事手配の宿舎グランド・ホテルの豪華さに驚嘆するのは、10年前の新見遣米使
節団や咸臨丸と同じだが久米は、幕府使節には一切触れない。翌日から、早速、市の歓迎会で駐日米公使・デロングが岩倉大使の挨拶の通訳。翌々日から、馬車製作所、毛織物工場、そしてウードワード公園(動物園、植物園、博物館、美術館)を見て、久米は、「西洋人は有形の理学に勉め、東洋人は無形の理学に篤い。有形の理学が農工商の実益に繋がり富庶繁栄を生む」と説く。咸臨丸が修理したメーア島の造船所・製鉄所を見学。

鉱山機械工場視察。常備兵を使節は観兵。カリフォルニア銀行創設者で名士のロールストンらのベルモントの邸宅や、セントラル・パッシフィック鉄道に招待される。女学校を見学して、教育システムを知る。女性新任教師の月給50ドル。日本の九等出
仕役人50円(=ドル)とほぼ等しい。

岩倉大使は、日本使節のために開通したばかりの電信で、ワシントンのフィッシュ国務長官、電信発明者・モールス、次の訪問シカゴ市長らと通話している。その夜の政財界人300名の宴会で伊藤博文が「日の丸演説」をなし喝采を得る。アメリカの領土拡大の歴史は、1803年、フランスから仏領ルイジアナを1500万ドルで、1848年、米墨戦争でカルフォルニア、ユタ、ニューメキシコ、コロラドを取得。スペインからフロリダを500万ドルで、1867年ロシアからアラスカを720万ドルで買い取っている。映画『駅馬車』は因みに、岩倉使節の訪米の後の話である。鉄道のない場所の移動は駅馬車だった。

(文責:小野博正)

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